醜形恐怖のつらさ
私は醜形恐怖になったことがあります。
醜形恐怖はとてもつらいです。
容姿で判断され、イヤなことを言われたことがあります。
顔写真を送って逃げられたこともあります。
でもそんなことはどうでもよかったんです。
私にとって重要な人ではなかったから。
美の基準はそれぞれですから、
どうでもいい人に何て言われてもどうでもよかったんです。
それなのに私は、醜形恐怖になってしまったことがあります。
いきさつはこうです。
大昔の話なので書いてみます。
あるとき、私には好きな人ができました。
完全に片想いです。
その人とは、好きだと告白すれば、気まずくなるような人間関係の中で知り合いました。
あるとき、その人には好きなタレントさんが数人いることがわかりました。
その人は、そのタレントさんの音声をつけっぱなしにして寝てるというのです。
よっぽど好きで落ち着くらしいのです。
そのタレントさんたちは、
みんなややふっくらしていて、タレ目がちの優しい目をしていました。
髪型はゆるふわのミディアムです。
その髪の毛はうるつやの茶髪で透明感にあふれていて、見るからにやわらかそうです。
そしてみんな色白でした。
私は、そのタレントさんのような見た目になれたら、もしかしたらその人が好いてくれるんじゃないかと考えました。
でも鏡を見ると、シミそばかすが目立つ頬、
ふっくらにはほど遠いコケた顔立ち。
色白になることのない黄ぐすみした肌。
系統の違う毛質の、重たそうな黒髪。
そして悲しかったのは
私はつり目で、決してタレ目がちな優しい目元のタレントさんたちのようにはなれないということでした。
メイクを真似して、ブラウン系のアイシャドウでタレ目に近づけそうな陰影をつけてみても、
時間が経って客観視すると、違和感しかなくて。
毎日、朝起きるたびに、
『あー、なんでこんな苦しいんだろう?』
と思いながらも、やらずにいられなくて
美顔器を照射しまくっていました。
色白に近づきたかったからです。
好きな人との関係は、人間関係のコミュニティの都合で障害しかないので、
たとえばすごい努力をして
タレ目のふっくら色白美人のゆるふわミディアムなタレントさん似になれたとしても
まったく違う別人として、
まったく違うルートで新しく出会うのでないかぎり、
きっとその恋は成就しないんだろう、というのがわかっていました。
つまり、私では努力したってダメってことです。
私は、ひそかにその人間関係から抜け出して
たとえば韓国など整形で有名な海外で
全然違う自分になって、もう一度その人と
一から出会えたらいいのになって
毎日そんなことを想像していました。
さすがにそんなことは実行はしませんでしたが、
そのくらい、別人になった方がいいんじゃないかと悩みました。
たとえ別人になれても、好みの姿に変われるとは限りません。
その人に恋人ができたりタイミングが悪ければ無駄になることでもあります。
まして本当の自分が愛されるわけではないのもわかっていました。
それでも、私はその人に見てほしかったです。
情緒不安定な時期は数ヶ月続きました。
それまで、のんびり生きてきたのに
その人を好きになってからは、完全に自分を監視するようになってしまいました。
自分の立ち姿勢が猫背で、背中や二の腕にぜい肉がついてることに気づいて、背筋を鍛える筋トレを始めたり。
脱毛器がなければ毛抜きでムダ毛を抜いて、その痛みに妙に安心したり。
医療用レーザーで美白治療を受けると、ダウンタイムにやたらに安心したり。
この、『ダウンタイム安心症候群』は、なかなかの魔物らしく、取り憑かれる人が多いというのをずっと後で知りました。
自分の存在感の基盤感覚のようなものが薄れていて不安だから、少しの痛みが伴う前向きな治療に、なんだか安心してしまうみたいです。
自分のことは変えたいけど、自傷まではしたくない。
『今の見た目ではつらくて変わりたくて、何かをせずにはいられないから、
せめて前向きな治療として何かをしておきたい』
そのための痛みを受けて、なぜかホッとしてる自分がいるんです。
いつそんな闇を抜け出せるのかわからずに、毎日鏡を見ては『ここを変えたい』と悩んでしまいました。
『完全になったら愛されるかもしれない』
いつしか、そんな思いにとらわれるようになっていきました。
そしてずっと後で気づいたことがあったのです。
『完全になって愛されたい』
これは、私のもともとの状態ではなくて、
好きな人の心の状態なのだと。
私の好きな人が、まさに『完全でありたい人』だったのです。
その人が自分自身を『完全でいなければならない』とさばいてる物差しが、
どういうわけか、私の心に移されてしまったようです。
好きな人の価値観がそのまま投射されることは、けっこうあるらしいんです。
なんでこんなに苦しいんだろう?の中身は
好きな人の苦しみだったのかもしれません。
心は、いつも色んなものを写す鏡のようなものなのかもしれないですね。
こうした、他者からの影響から抜け出して
自分の価値基準を健康的なものに置き換えると
健康的かどうか?に焦点があてられるのですが
醜形恐怖は、自分自身の美の基準も関与してくるため、時間がかかる人もいるようです。
自分自身とのおつきあいが、少しでも健康でやさしいものになりますように。